第39話ー絶対なる信頼
今宵の【Bar Siva】は通常の19時オープンより1時間以上前に開店準備が整っていた。
ボーイのサトシは看板の電気は点けずに全ての準備を終えて、待機していた。
この店のオーナーママのリリーは今日は珍しく喪服を身にまとっていた。
そこへお店のドアが開いた。
サトシは反射的に
「いらっしゃいませ」
とは言ったものの、今までに聞いたことない、アルトな音で静かなトーンだった。
ドアを開けて入って来たのは、リリーの同級生の鍋島だった。
リリーも鍋島から先日、里中の妹の恵子がこの世を旅立ったことは電話で知らされていたが、鍋島と直接会うのは、あれから、今日が初めてだ。
リリーは口元だけ微笑んで
「今日は、わざわざありがとね。時間が限られてて申し訳ないけど、何でも飲んで」
右手でカウンターのリリーの目の前の席へ促しながら言った。
鍋島は、いつもと変わらず冷静な態度で答えた。
「ありがとう。とりあえず一緒にビールで献杯しよう」
サトシが、それを聞いて急いで厨房へ入っていた。
鍋島は胸のポケットからタバコとライターをカウンターの上に出した。
リリーがすかさずライターを片手に火を付ける素ぶりを見せた。
鍋島はタバコを1本取り出して、リリーに火をつけてもらうと、とてつもなくゆっくり息を吸い、長く吐いた…
そうしてる間に、サトシが厨房からビールを3個持って出て来た。
それを見たリリーはライターを置いて、ビールグラスを受け取ると
「結局、何のお力にもなれず申し訳ないわ。とにかく、献杯させて…献杯」
と言ってグラスを少し上に上げてビールを勢いよく呑んだ。
そして、ビールグラスをカウンターに置いて、リリーは、ゆっくりと話し出した。
「あの日、私が恵子さんに最後に逢いに行ったあの日…
もう、どうしようも出来なくて…
これが彼女の約束の日なのか?とも一瞬悩んだりもしたけど、もっと何か出来たのでは?と本当に悔やむところはあるのよ…」
鍋島が即座に答えた。
「いや、誰のせいでも無いよ。むしろ、病室にまで行ってくれてありがとね。そう、ぷぅさんも言ってたよ」
「そんな、病室も、もっと行っておけば何かがって思うのに…」
リリーは自分のタバコに火をつけて、鍋島を潤んだ瞳で見つめながら言った。
「いや、本当に恵ちゃんも感謝してたよ。こんな私のためにわざわざ来てもらって嬉しいって。で、彼女の息を引き取る前の最後の言葉が…」
鍋島がグッとこみ上げるものを一瞬堪えるのに黙った。
その様子を真っ直ぐに、リリーは見つめたまま続く言葉を待った…
鍋島は意を決して
「彼女の最後の言葉が『皆んなにありがとうって伝えてね』って…」
目をつぶって言った。
リリーは鍋島から発っされるその時の映像を見ながら止めようのない頬を伝わる涙を拭いもせずに小さく頷いた。
少しの沈黙を破る様にリリーが静かに口を開いた。
「本当に最後の最後まで愛溢れる人だったんだね…」
リリーが言った後に下を向いて涙を堪えようとしても溢れる涙を止められないのを確認して続けて言った。
「彼女は、ご主人をとても信頼していて、自分がこの世に居なくなっても全てを任せれると自負していたの…良いも、悪いもね…だから…
安心して任せれるご主人がいるから結局、自分の寿命というか、迎えに来た黄泉の国への案内に応じてしまった…でも、それは…
彼女の痛みを取る1番早い方法でもあるのよね…
だから、私は、良く頑張ったねってしか言葉が見つからないの…」
リリーは黒地に金の刺繍がある独特のハンカチを取り出して涙を拭いた。
鍋島は目をつぶって上を向いて涙を堪えた後に、リリーを見つめて言った。
「ぷぅさんも感謝してたよ。で、水晶のブレスレットを預かって来たんだけど、返すので良い?」
「いや、一緒にお骨と入れてあげるかして欲しい。もし、それがダメなら近くの川にバラして流してあげてくれないかな?お手間かけるけど、お願い出来る?」
「分かった。そう伝えるよ」
「ありがとう」
リリーの涙は止まらなかった…
リリーは鼻水をすすりながら、ゆっくりと
「恵子さんは、本当にご主人を愛していて、とても信頼していて、子供たちの事は心配だけど、それ以上に彼を信じてるから恨みもつらみも無いのが当然で、病気になったことすら与えてもらった事だと受け入れて周りの人々に感謝をして…
唯一、彼女の頭によぎったのは、親よりも先に黄泉の国へ帰ることだけだっの…
それも、親が怒らず受け入れてくれると信じて、体から抜けて出たんだよね…
彼女は生前にも言ってたけど、私は人に恵まれているって…
ご主人にも自分が居なくなった後は再婚でもしてくれたらと心底思ってて…
本当に、こんなに愛が溢れてる人に出逢えさせてもらった私も感謝しかないわ…
ありがとね」
淡々と話した。
鍋島は、静かに泣き続けるリリーを見つめながらビールを呑んで問いかけてきた。
「リリー、結局さぁ、俺たちは何も出来ないのが普通なんだろうか?」
「そうね。所詮、ちっぽけな人間にすぎないわ」
「恵ちゃんの最後の最後まで自分のことじゃなく人を想いやれる自信、俺にはないよ…」
鍋島はビールグラスに目線を落として言った。
「いいんじゃないかな?恵子さんが偉大だったの。私たち凡人は出来ないのが普通よ」
リリーが言った後にビールを呑み干した。
リリーはサトシにおかわりの合図を送ってから続けて質問した。
「ご主人や子供たちは大丈夫?って、何より、ぷぅさんは大丈夫なの?」
「あー、ぷぅさんは落ち込んでるけど、落ち込んでる場合じゃないから大丈夫だと思う。恵ちゃんの旦那さんは子供たちが小さいのもあるから、目の前のことに追われて泣いてる暇が無いんじゃないかな?
ぷぅさんの親が子育てを手伝ってくれるとしても、全部ってわけにいかないしね」
「では、逆に良かったというか、やっぱり恵子さんが信頼してるご主人だね」
そう言うとリリーの涙が突然止まった。
サトシが新しいビールを運んで来たのを受け取ると、リリーは目が腫れた状態ではあるが、満面の笑みで
「鍋島、恵子さんの本物の愛と生きてる全ての人に乾杯しよう!だって、生きてるから…」
支離滅裂の様で本音を言った。
「残り時間少ないけど、呑みましょう〜。カンパーイ」
・・・
生きてるから辛い…
生きてるから痛い…
生きてるからこそ、そんなこともあるのだ…
生きてることに乾杯!!
生きてることに意味があるのだ…
・・・
今宵はココまで…